原発反対で結集を!

昨日3月10日は、全国一般福岡はさようなら原発福岡集会とさよなら原発北九州集会にそれぞれ参加しました。

『さようなら』と『さよなら』とで、なぜ運動が分裂しなければならないのでしょうか。
本当に原発を無くしたい多くの人たちにとっては残念で仕方がありません。小異を捨てて大同につくことはできないのでしょうか。
そもそも、原水爆禁止運動は、戦後大衆運動にも見られないほどの、多様な階層からなる大量の草の根の人々 の参加を得て発展して行きました。
しかし、1959 年の安保改定をめぐる保革の対立のなかで、運動から自民党系などの保守層が脱落し、1961 年のソ連の核実験再開以降、これに対して反対すべきかどうかをめ ぐって、革新陣営内で大きな対立が起こり、それがそのまま運動に持ち込 まれて、1963 年に大規模な分裂をとなりました。

以後、原水禁運動は、保守系の核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)、 共産党系の原水爆禁止日本協議会(原水協)、社会党・総評系の原水爆禁 止国民会議(原水禁)の三つに分かれて継続されできました。
とりわけ、原水協と原水禁は、 1977 年に、大会開催に関して再統一し、統一大会は 1984 年まで続きましたが、 翌年再び分裂しました。

これが,原発反対の運動にもそのまま持ち込まれてきました。
分裂を選択した当時の指導者の責任も、そしてそれを続けている現在の組織役員の責任も極めて重大ではないでしょうか。
まさに、仲良しグループの自己満足の運動としか言いようがありません。
指導者間の確執は極めて深刻ですが、それを克服する努力は真剣に行われなければならないと考えます。
それは,労働運動も同様ではないでしょうか。